日本の伝統である『家紋』は現在8,000~20,000種以上存在と言われております。
起源は公家と武家で異なり、公家は平安時代末期から鎌倉時代にかけてで、始めは車輿の装飾として用いられました。
武家の場合は旗や幕の徽章から転じたものが多く、また中には衣服の文様から取ったものもあります。 源平の戦いには源氏が白旗、平家が赤旗を用い党派の目印にしました。 しかし、全国の諸豪が参加する戦いの場合は自家の目印が必要になり、旗や陣幕に徽章を描いて“氏”“苗字”を明らかにしていました。 文様としては原始時代、縄文時代の土器などからも現在用いられている家紋の原形を見ることができます。
家紋としての起源は上記の他にもいくつかの説があり、はっきりとした事は定かではありません。
【 説1 】 『武家事記』の中では旗に紋を描いたのは聖徳太子の時代(593年)の頃あり武家が家々の章として用いたのは源頼朝の頃(1190年)とある。
【 説2 】 『日本書紀』では推古天皇11年(603年)に絵画を旗幟(きし)に施したのが紋の使用のはじまりとある。
【 説3 】 『神書』の中では「紋は蓋(きぬがさ)の紋と車の紋とが起こりなるべし」とある。 公家の家紋が車輿の文様から転化したことは、『大要抄』に徳大寺家がカ紋を、『尊卑文脈』に西園寺家が巴紋を車紋として用いたことが載っている。
【 説4 】 『四季草』の中で「武家の紋は旗幕の目印なり。是は保元平治の頃(1150年)より始まりしか」とある。
【 説5 】 『家紋の由来』で家紋の始まりは上古の品部制度の時代という平安初期説を説く。
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